神戸市が売却意向の王子公園の土地について歴史的な背景を検証する

神戸市は王子公園再整備計画において王子公園の土地を特定の学校法人に売却する意向を示している。この記事では、神戸市が売却しようとしている土地および地域がどのような性格と変遷を有する場所であるのかについて、歴史的な経緯を探り、まとめたものである。

「原田の森」と呼ばれていた

神戸市が2021(令和3)年12月に示した「王子公園 再整備基本方針(素案)」の1.背景(1)王子公園の位置と歴史は以下のように記している。

王子公園は、本市の都心である三宮・元町の東約3kmに位置しており、駅に近く利便性の高い貴重な空間です。この一帯はかつて『原田の森』と呼ばれ、明治中頃まで田畑が広がっていました。

神戸市が誕生したのは1889(明治22)年4月1日で市制当初は、現在の中央区と兵庫区の一部にとどまり面積も約21㎢だった(※1)。神戸市の誕生と同じ1889(明治22)年4月1日には神戸市の東側に都賀野村が誕生した。この村は、河原村、森村、鍛冶屋村、岩屋村、味泥村、原田村、畑原村、上野村、五毛村、稗田村、摩耶村が合併してでき、その後、都賀原村という別の村との混同を避けるために1895(明治28)年11月11日に西灘村に改称された(※2)。西灘村は1929(昭和4)年4月1日に神戸市に編入されて神戸市となった(※1)。

王子公園 再整備基本方針(素案)によれば、王子公園一帯は原田の森と呼ばれていた。原田の森とは、原田村にあった建御名方尊神社(現在の王子神社)の神域の松林を指している(※5)。 そして建御名方尊神社は原田村の守護神を祀った神社だという(※6)。原田村は、江戸時代は尼崎藩の領地で(※3)、1883(明治16)年の調査では戸数60戸、人口322人、うち25戸が農業を営む小さな村として記録されている(※4)。 その後、他の村と合併して都賀野村の一部となり、西灘村に改称された後、神戸市に編入されたという経緯がある。

神戸市が学校法人に売却しようとしている王子公園の土地は、原田という集落において宗教的な意味をもった空間であったと考えられ、祖先の霊や神道の神が宿る森(杜)だった。

明治6年に3000坪を境内地と定め他を上知

現在の王子神社(建御名方尊神社、原田神社)=神戸市灘区原田通

この信仰空間を管理していたのは、今日、王子神社と呼ばれている建御名方尊神社と考えられる。西灘村誌は、建御名方尊神社をいくつかある村社の1社としていることから(※6)、原田村から都賀野村となって以降も村社であったと考えられる。建御名方尊神社の建御名方(タケミナカタ)とは、諏訪神とも呼ばれる諏訪大社の祭神を指している。由緒は、「鎌倉時代の初期に信州諏訪から松本忠一公が一族を連れて此の地に住み豪族となり、また、神代の昔、建御名方尊がこの地に軍旅を駐められたという故事により、村人達は御祖先(氏神様)をお祀りする此の清浄な地に、元久元年(1204)年秋に諏訪大社『建御名方神』のご分霊を奉持し、約一万三千坪を境内地として御社を建立して奉斎した」と伝える。原田という集落がどのようにして形成されたのか定かでないが、今日の王子公園の地はかつて原田という集落において祖先(氏神)を祀った空間であったところ、鎌倉時代になって建御名方神の分霊を祀り御社(みやしろ)を建立したという。祖先信仰に諏訪信仰が重なっている点が興味深い。また、現在は王子神社と呼ばれているが、これはこの地域で南北朝時代に熊野信仰がさかんになったことが影響しているようだ。

由緒は、元久元年(1204)年に約1万3000坪(約4万3000平方メートル)を境内地として御社(みやしろ)を建立したが、明治6(1873)年8月に3000坪(約9900平方メートル)を境内地と定めて他の土地を上知したと記している。王子公園の面積は19.4ha(19万4000平方メートル)なので由緒が記している面積は原田の森全体ではなく御社の境内の面積だろう。

明治政府は明治元年(1868)に神仏分離令を出し、明治4(1871)年と明治8(1875)年に寺社に対して上知令を出しているので、「明治6(1873)年8月に3000坪を境内地と定め、他の土地を上知した」との由緒記述は歴史事実に符合している。原田の森は境内と定めた限られた土地を除いて明治政府の土地になったと考えられるのだ。また、この時に建御名方尊神社という社名がつけられたが、村人は神の名を畏れて通称の原田神社と呼んだということなので、もともと村人は原田神社と呼んでいたのだと思われる。

香港上海銀行から貸付を受けて原田村の土地を購入

王子公園内にある神戸文学館の外壁には「關西學院發祥之地」と刻まれている

上海生まれのアメリカ南メソヂスト監督教会のアメリカ人宣教師、ウォルター・ラッセル・ランバスが神戸外国人居留地内に読書館を開設したのは明治19(1886)年11月(※7)。2年後の明治21(1888)年には香港上海銀行から2000円の貸付を受けて原田村(現、王子公園の一角)に1万坪(約3.3平方キロメートル)の土地を1万円で購入、翌年の明治22(1889)年9月に後に関西学院大学となる南メソヂスト監督教会を母体とするミッションスクールを開学した(※7、8)。土地購入の残りの資金はバージニア州リッチモンドの銀行家、ブランチの献金により完了させたという(※8)。関西学院がネットに公開している当時の図面を見ると、建御名方尊神社の本殿と参道以外は周囲がすべてミッションスクールの敷地となっており、ミッションスクールが神社境内を取り囲んでいる(※8)。

原田村の建御名方尊神社の周りの土地をランパスが誰から購入したのか関学資料では明らかでないが、先述したように明治6(1873)年8月に約9900平方メートルを建御名方尊神社の境内地と定め他を上知したとみられる経緯があるので、ランバスもしくは南メソヂスト監督教会が明治政府と交渉して購入した土地なのではないだろうか? 教会関係者からは「あまりに僻地」との声もあったという(※7)。

原田の土地を阪急に320万円で売却

大正7(1918)年に大学令が公布され私立大学の開設が可能となったことを受けてミッションスクールの大学への昇格が検討されたが、建御名方尊神社を取り囲む原田の土地では大学昇格に必要な面積を満たさないことなどから、移転が検討され、昭和2(1927)年5月に上ヶ原への移転を決定、昭和6(1931)年に大学設立の許可申請を行い、翌年に認可されて関西学院大学の設立となったようである(※7)。

原田から上ヶ原への移転に際しては、原田の土地を320万円で売却し、上ヶ原の土地7万坪を55万円で購入する売買が阪急との間で成立、売買で得た265万円を上ヶ原キャンパスの建設費用に充てたという(※7)。阪急に売却された原田の土地がどのような経緯で神戸市の所有となったのかについては詳細を把握していないが、1950(昭和25)年には王子公園の供用が開始され、神戸博覧会や国民体育大会の会場となった。また、1951(昭和26)年に諏訪山動物園が王子公園に移転し王子動物園となった。建御名方尊神社は戦後、王子神社と改称し、王子公園の設置に伴い境内地の5分の4を神戸市に供与、さらに国民体育大会の開催に伴い現在の場所に移転したという。

今日、神戸市が売却しようとしている土地の経緯をひと通り見てきた。原田という集落の信仰にかかる土地は諏訪信仰、さらに熊野信仰の影響を受けつつ興隆し広大な神域を有するに至ったが、明治期にその土地の多くを上知し、さらにアメリカの南メソヂスト監督教会を母体とするミッションスクールの校地となったが、昭和初期に阪急に売却され、その後、神戸市によって王子公園が設置され、諏訪山動物園も移転して王子動物園となった。阪急に320万円で神戸市に売却された現在の王子公園の土地が、どのような経緯で神戸市に移ったのかについては改めて記事にしたいと思う。

【関連年表】

1204(元久元)年 原田集落の氏神を祀った地に建御名方神を分祀した御社がつくられ約4万3000平方メートル が境内地となる。

1873(明治6)年 境内地を約9900平方メートルとし、他の土地は上知される。

建御名方尊神社と命名される。

1886(明治19)年 ウォルター・R・ランバスが神戸外国人居留地内に読書館開設。

1888(明治21)年 ウォルター・R・ランバスが原田村の土地約3.3平方キロメートルを校地として購入。

1889(明治22)年 4月 神戸市が誕生。

原田村が他10村と合併して都賀野村となる。

9月 原田の森の土地に後に関西学院大学となるミッションスクール開校。

1895(明治28)年 都賀野村から西灘村に名称変更。

1918(大正7)年  大学令公布。

1923(大正13)年 昭和天皇の御成婚を記念し桜130本を植樹。

1927(昭和2)年  5月  ミッションスクールの大学昇格を目指し原田から上ヶ原への移転決定。原田と上ヶ原の土地を阪急と売買。

1929(昭和4)年  4月 西灘村が神戸市に編入。

1931(昭和6)年  関西学院大学の設立許可申請。

1932(昭和7)年  関西学院大学の設立認可。

1946(昭和21)年 建御名方尊神社から王子神社に改称。

1949(昭和24)年 王子公園設置のため境内地の5分の4を市へ提供。

1950(昭和25)年 王子公園の供用開始、神戸博開催。

1951(昭和26)年 諏訪山動物園を王子公園に移転。

1956(昭和31)年 国民体育大会の総合運動場設置により王子神社が現在の場所に移転。

第11回国民体育大会開催

1995(平成7)年  阪神・淡路大震災発生、王子公園が災害対応拠点となる。

2021(令和3)年  12月 神戸市が王子公園再整備基本方針(素案)を発表。

■出典

※1  神戸市ウェブサイト 神戸市域の変遷

https://www.city.kobe.lg.jp/a89138/shise/about/energy/rekishi.html

※2 西灘村誌 第三編町村制実施以後

※3 西灘村誌 第二編町村制実施以前

※4 西灘村誌 第八編参考資料

※5 関西学院事典(増補改訂版) 原田村・原田の森

https://ef.kwansei.ac.jp/encyclopedia/detail/r_history_008604.html

※6 西灘村誌 第七編神社・仏閣

※7 新修 神戸市史 生活文化編

※8 学校法人関西学院 原田の森キャンパス

https://ef.kwansei.ac.jp/about/harada

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