王子神社由緒記および王子神社

以下は神戸市灘区原田通三丁目八番四三号に鎮座する王子神社とその由緒の記録。

 鎌倉時代の初期に、信州諏訪から松本忠一公が一族を連れて此の地に移り住み豪族となり、また、神代の昔、健御名方尊が此の地に軍旅を駐められたという故事により、村人達は御先祖(氏神様)をお祀りする此の清浄な地に、元久元年(1204年)秋に諏訪大社「健御名方神」のご分霊を奉持し、約一万三千坪を境内地として御社を建立して奉斎いたしました。古くから、山や水・風の神として、広く信仰されて参りました。五穀豊穣・産業振興の守護神といわれています。また、戦や武術の神様としても信仰されています。

 その後、此の地方にも熊野信仰が盛んになり、延元元年(一三三六年)春、紀伊熊野より「若一王子神」の御分霊を奉持し、王子権現と称え、前記の御社に併せてお祀り致しました。此の地を、原田字王子免→王子町と呼ぶのはこのためです。樹木・子供等の守護神として信仰されています。

 当時から昭和初期までの神域は昼なお暗く、生い茂る木立におおわれておりましたので、源平一の谷の合戦には東軍の陣地となり、元弘・建武の頃、赤松円心の摩耶城攻めには官軍の策源地となり、湊川の戦には決戦地となるなど、幾度もの兵火を蒙りましたが、そのつど数多い崇敬者の手により立派に復元され、御神域の森林は原田の森と呼ばれ、航海の目標に、或いは旅人の憩いの場として、広く世の中に親しまれてまいりました。

 明治六年八月、三千坪を境内地と定め、他は上地し、社号を「健御名方尊神社」と致しました。しかし村人達は御神名を社号とするのは恐れ多いとし、また原田のお宮から、通称「原田神社」と呼ばれる様になりました。

 また、原田村には、古来より前記の御社(氏神、健御名方神・若一王子神社)とは別に、字城ノ内(現在のJR灘駅の東百mの附近)に「高林神社」という御社がありました。この高林神社は、六国史の一つである[三代実録]貞観十八年(八七七年)七月の条に「十五日、摂津国、正六位の上、高林神社に従五位の下を授く」とある事からも、此の高林神社が今から壱千百年以上前よりも更に古くから祀られていた事は明らかであります。御祭神「大市比売神」は、大年神(穀物の守護神)・宇迦御魂(御稲荷様……おいなり様)の母神であり、また、御神名の字の通り[商業繁栄の大元の神様]であります。明治三十五年五月、高林神社は健御名方尊神社のお社に移され、二社は一つの御社となりました。

 大正十三年、昭和天皇の御成婚に際しましては、桜の若木百三十本をはじめ多くの木々を記念植樹し(現在の王子動物園の桜の古木・その他の樹々)境内地を整備するなど、年毎に発展してまいりました。

 昭和二十一年十二月十日、周辺社会の情勢に鑑み「王子神社」と改称致しました。

 昭和二十四年十月、神戸市の都市計画による王子公園設置のため境内地の五分の四を市へ提供、王子町一丁目へ移転し、更に昭和三十一年春、兵庫県での国民体育大会の総合運動場を設置のため現在地へ移転することとなり、六月九日に御遷座し、現在に至っております。

【本殿御祭神】

健御名方神(タケミナカタノカミ) 山・水・風の神様。五穀豊穣 産業振興の守護神。武術の神様。

若一王子神(ワカイチオウジノカミ) 樹木・子供の守護神。

大市比売神(オオイチヒメノカミ) 商業繁栄の祖神。阪神間及び県下では当社だけに祀られています。

八幡大神・祇園大神・大国主大神・事代主大神・須佐鳴男大神・猿田彦大神の神々も祀られています。

【境内神社御祭神】

大滝稲荷神(オオタキイナリノカミ) この地のお稲荷様。食物・穀物・商業の守護神。

天照大神(アマテラスオオカミ) あらゆる生命の源である太陽の神様。

愛宕大神(アタゴノオオカミ) 火の守護神。防火・鎮火の神様。

住吉大神(スミヨシノオオカミ) 農業・海路安全などの水の守護神。

松尾大神(マツオノオオカミ) 醸造業の守護神。生命の神様。

天満大神(テンマンノオオカミ) 学問の神様。

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