達磨山は伊豆半島北西部、静岡県沼津市と伊豆市の市境にある標高982メートルの山だ。約100~150万年前の火山活動でつくられ、その形状が座禅をした達磨大師に似ていることから達磨山と呼ばれている。富士山をのぞむ絶景スポットでもある達磨山の頂上からやや南に位置する山の上の土地から廃棄物が混入した土砂が付近の伊豆市所有の山林や河川に流れ込んでいることが明らかになったのは令和2(2020)年9月のことだった。
「伊豆市大平柿木の山間部に大量の土砂が搬入され一部が近くを流れる柿木川に流れ出していることがわかった」―令和2年9月20日付けの伊豆日日新聞は1面でこう伝えている。事の発端は同年6月3日に静岡県東部保健福祉センターから「盛土造成工事が行われている」との情報提供が伊豆市にあったことに始まる。伊豆市によると、6月9日に伊豆市と静岡県の職員が現場の土地を確認すると大型ダンプカー3台で土砂を投棄しつつバックホウ1台で整地作業が行われていた。さらに6月24日に県や市職員が確認した時は、約3000平方メートルの土地に大型ダンプカーが出入りして大量の土砂を投棄していて、土砂の中には瓦礫など廃棄物らしきものも混入していたため、県は土砂に廃棄物を混入させないように現場作業員に注意文書を交付したという。
その後、廃棄物が混ざった土砂が周辺に流出していることが判明し地元の新聞やテレビが報道して事態が広く知れ渡ることになった。伊豆市の調査によると、流出した廃棄物や土砂の総量は2,200立法㍍におよび、一部は柿木川にまで流出して柿木川は水が茶色く濁ったりプラスチック片等の廃棄物が下流河岸に漂着したりしていたという。伊豆市は、柿木川の水質検査や土壌の有害物質検査を実施して周辺環境に影響がないか調べるとともに廃棄物混入土砂の市有地へのさらなる流入を防ぐために土留め柵を設置するなどの対策を講じた。また廃棄物混入土砂を流出させている土地の監視を強化し、関係者にも聴取を行って事実関係の解明に乗り出したのだ。そして、翌年の令和3(2021)年2月には廃棄物と土砂の撤去と損害賠償を求めて静岡地裁沼津支部に民事提訴をするに至る。伊豆市が訴えたのは土地の所有者である宗教法人平和寺本山とその代表者、元役員ら計4人だった。
市の提訴を受けて平和寺本山のある役員はこう話した。
「県や市は我々が廃棄物を違法投棄したかのように言うが、廃棄物はもともと平和寺の境内にだれかが勝手に持ち込んだもので我々はむしろ被害者だ。当時、警察に被害届を出したが事件にならなかった。その結果、廃棄物が境内に残り、残った廃棄物が流出したんだ」
裁判でも平和寺本山は産廃不法投棄の被害者だと訴えた。伊豆市は「廃棄物と土砂は完全に混然一体となっていることから、投棄している土砂に何者かが別途廃棄物を投棄したとは考えられず、当初から廃棄物の混入した土砂を投棄しているのは明らか」と主張した。訴訟は市と平和寺本山が対立して平行線を辿った。一方、静岡県は令和3年9月29日に廃棄物及び清掃に関する法律にもとづく措置命令を発出し、宗教法人平和寺本山と代表役員らに敷地外に流出した廃棄物の全量を撤去することと敷地内の廃棄物に流出防止策を講じることを命じた。静岡県は廃棄物が他所から境内に誰かによって持ち込まれたものとする平和寺本山の主張を必ずしも否定しておらず、平和寺本山で行われた造成工事についても「廃棄物の処分とは言えない」としつつ、過去に投棄された産業廃棄物があることを認知しながら覆土をした行為を産業廃棄物の処分行為と認定した。さらに敷地内からの廃棄物の流出についても産業廃棄物処理基準に適合しない処分に該当するとして措置命令の発出を決めたのだ。しかし、県の措置命令に対しても平和寺本山は応じず、事態はこう着している。
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平和寺本山がある伊豆の山頂の土地を訪ねてみた。達磨山を右手に西伊豆スカイラインを伊東市方面に進むと道路の左側に複数の石仏がある敷地があり、平和寺本山と刻まれた大きな石塔が建っていた。そこから参道とみられる道が山の方へと伸びているのだが、道の入口には伊豆市が設置した監視カメラが設置されていた。上り、下りのある道を15分ほど歩くと山頂に至り、2階建ての建物が見えてきた。建物の奥には更地が広がっており、多角形の白い建物があった。山頂は2階建ての建物と多角形の白い建物があるだけで閑散としていて人の気配もない。常駐している職員はいないようだ。山頂に至る道の脇には数々の石仏が配されていたが、境内とされる山頂の土地は殺風景で、伊豆の山々が広がる大パノラマを前に亡洋とした雰囲気が漂っていた。
平和寺本山のウェブサイトには、この宗教法人の目的として「十一面観音菩薩を本尊として、世界平和の教義を広め、原爆犠牲者・戦争犠牲者の慰霊供養儀式、海洋戦没者引揚げ及び供養の行事、外国人戦争犠牲者の霊位祖国奉還等の事業を行う。自然を壊さず誰もが差別無く供養できる新時代の屋内新墓苑を全国に展開する。併せて、地球環境保全の為に、緑化・自然エネルギー事業を推進する」と綴られており、その事業として戦没者遺骨収集や平和事業、緑化国際霊園事業をあげている。また、昭和47(1972)年に靖国会館で第1回創立会を開き、昭和50(1975)年10月には「天城湯ヶ島町の達磨山標高906メートルの頂に開山」と平和寺本山開山の歩みも紹介されている。当時の天城湯ヶ島町は、現在は伊豆市に併合されている。昭和53(1978)年には台湾・トラック島で、昭和55(1980)年からはサイパン・台湾等で遺骨収集が行われ、平成14(2002)年からは韓国朝鮮人犠牲者奉還事業、最近では平成24年に東日本大震災一周忌追悼法要が行われたようだ。しかしその歩みは平成25(2013)年を最後に途絶え、平成26(2014)年以降の活動はウェブサイトからは伺えない。
伊豆の山頂で開山した宗教法人平和寺本山とは一体どのような宗教なのだろうか? 私が平和寺本山の名前を最初に聞いたのは、産廃混じり土砂が流出してニュースになる以前のこと、伊豆半島のちょうど反対側、函南町で持ち上がっていたメガソーラーの開発計画に反対する住民たちから話しを聞いた時だった。
(続く)