少子高齢化が進行中の日本。『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(河合雅司著、講談社現代新書)によると、2024年には全国民の3人に1人が65歳以上になり、2033年には3戸に1戸が空き家になるという。このような状況だと日本の離島に人が住めなくなることも現実味を帯びてくる。東京本土から360kmの太平洋にある絶海の孤島、青ヶ島は人口約160人のもっとも小さな東京都の村だ。今、この島の危機を訴えるSNSが発信されている。
移住者がいなければ中学校がなくなる?
今から30年以上も前のことだが青ヶ島に渡ったことがある。八丈島から船で辿りついた青ヶ島は、まさに海上に現れた断崖絶壁の島で、船をどこにつけるのか見当がつかなかった。船はまさにその断崖絶壁の一角に到着し、上陸した先には恐ろしく急勾配の道があった。宿泊する民家が島のどこにあるのかわからないまま急坂を歩いていると、軽トラックが止まって島の中まで乗っけてくれた。
青ヶ島を訪問したのはこの島に伝わる神事を探るためだったのだが、その目的は果たせず謎のまま残り、代わりに熱帯雨林のジャングルを思わせる密林地帯を歩いて噴火口周辺を探索した。土の中から蒸気が湧いて出ているのを目の当たりにして青ヶ島が火山島だということを実感した。世界的にも珍しい二重カルデルの島だという。青ヶ島は強烈なインパクトと謎を残して記憶の中にインプットされた島だった。
だから30年以上経ってフェイスブックで「青ヶ島の情報」という投稿を見た時、当時の記憶がグルングルンと甦ってきたのだ。フェイスブックの投稿にはこう記されていた。
「※シェア、拡散を希望します。私の故郷 青ヶ島は深刻な過疎化によりこのままでは無人島になる危機的な状況にあります。来年度から中学生はわずか一人になり、そのまま移住者がいなければ再来年度には中学校が休校になります。(来年の8月頃にの可否が決まるようです)一度閉じた学校が再開された事例はほぼなく、事実上これは無人島化へのスタートになると思われます」
「インターネットやSNSの良さを活かして一民間人、島人として何かできることはないのかと考えています」
投稿者は、太鼓奏者そしてドラマーとして活躍している青ヶ島出身の荒井康太さん。青ヶ島では、島内に小中学校しかないため、高校に進学する子供たちは中学卒業と同時に島を出る。荒井さんも15歳で青ヶ島を出て千葉県の高校に進学、音楽は独学で学んだ。
アフリカを代表するカメルーン出身のドラマ―、ブリス・ワッシーの演奏に衝撃を受け、弟のワッシー・ヴィンセント・ジュニアが日本でドラマーや三味線奏者として活躍していることを知るや、同氏のもとを訪ねて師事しカメルーンにも同行するなどした。国内にとどまらず韓国や台湾など東アジア各地を訪ねて、太鼓を奏でて現地の人たちと交流もしてきた。そんな荒井さんは物心がついた頃から太鼓に親しんでいたという。
噴火で避難した島民が還住した歴史を紡ぐ
青ヶ島から70km離れた八丈島には古くから伝わる郷土芸能、八丈太鼓がある。八丈島の文化圏に属する青ヶ島でも昔から太鼓がたたかれていたはずだが、いつしか廃れてしまった。40年以上前、当時の村長や荒井さんの父親が村おこしの一環として島の古老に教わるなどして青ヶ島の太鼓を復活させ、青ヶ島還住太鼓(あおがしまかんじゅうたいこ)と名付けた。
還住とは居住地を失った人たちが再び元の土地に還って居住すること。青ヶ島は江戸時代、噴火によって島民の多くが八丈島に逃れ、その後、50年かけて復興した歴史があり、民俗学者の柳田國男はその歴史を「青ヶ島還住記」として記した。青ヶ島還住太鼓は噴火で失った土地に再び戻り、復興した先人たちの思いを紡ぐ太鼓なのだ。荒井さんは兄の智史さんとともに青ヶ島還住太鼓をたたいて育ち、現在も島で暮らす兄とともに青ヶ島還住太鼓の奏者として活動し、青ヶ島の還住の歴史を太鼓の演奏とともに発信している。
フェイスブックの投稿について荒井さんは「1人の島民として胸の内を書いた文章です。過疎化に至ったのには行政の問題や僕たちの上の世代が島を離れてしまったとか、僕らにはどうしようもないことも数多くあります。でも、そこに責任を押しつけることが好きではありません。思いや考えを1人1人が発信することができる時代なので、何かポジティブな議論のきっかけになったらいいなと思い発信してみたのです」と話した。
荒井さんの投稿に伊豆諸島の他の離島からも反応があるなど、反響が広がっているようだ。還住太鼓の音を青ヶ島から消さないために何をするべきなのか? それは急激な少子高齢化に直面している日本社会の課題でもあるように思う。
(三好達也)
■参考